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マリリン・シッツマン(Marilyn Sitzman) ※マリリン・シッツマンは、有名なザプルーダの秘書である。彼女は、グラシノールの木の柵の最も間近にいた人物の一人であるが、第二の狙撃犯を真っ向から否定する証言を行ったため、陰謀説を唱える人々からは無視され続けてきた。 デイリープラザのコンクリートの台座上から撮影するザプルーダーとシッツマン> 『ダラスの6秒間』(未訳本)の著者ジョシュア・トンプソンは、有名なザプルーダフィルムが撮影された際に、エブラハム・ザプルーダ氏の横にいた秘書のマリリン・シッツマンにインタビューを行った。『ダラスの6秒間』の102ページによると、このインタビューは1966年11月29日に実施された。 トンプソン:私は、マリリン・シッツマンさんと話しをしています。マリリン・シッツマンさんはエブラハム・ザプルーダさんと一緒にコンクリートの台座の上に立っていた方です。 では、マリリンさん、あなたの言葉で、11月22日に何が起きたのかを語っていただけませんか?最初から、すなわち暗殺事件の起きる、5,6分前からお願いします。 シッツマン:はい、大統領のパレードがやってくる前ですが、ザプルーダさんは、カメラで試し撮りをしました。かえでの木、たぶんかえでだと思いますが、その前の芝生でです。 トンプソン:なるほど シッツマン:それで、もともと決めていた場所かどうか判りませんが、あの場所の上に上って撮影することにしたようです。あの場所はなんて言いましたっけ? トンプソン:四角いコンクリートの台座ですね?はい シッツマン:そうです。彼はその上に立ち上がると、私に後ろ側に立つようにお願いされました。カメラのテレスコープレンズを通して撮影しようとすると、目眩がして、よろけるので、その時は、私に後ろ側で支えて欲しいとのことでした。そこで、私は彼のすぐ後ろに立ちました。そのとき、パレードがヒューストン通りと、メイン通りの交差点に差し掛かったのが見えました。その時点では、彼はまだ撮影を開始していませんでした。ヒューストン通りを進む様子を眺めていました。 先導のオートバイが角を曲がり、坂道を下りだした辺りで撮影を始めたのです。それから、しばらくは特に変わった様子はありませんでした。(ここで、ドアをノックする音で、録音を中断) トンプソン:(録音再開)中断してすいませんでした。たしか、パレードがヒューストン通りに差し掛かって、その通りを進んでいたところまでお話頂いたかと思います。 シッツマン:繰り返しになりますが、最初の音がするまでは、特に変わった様子はありませんでした。ケネディ大統領の反応を見た感じでは、最初は爆竹の音かと思いました。彼は手を上げながら顔を隠すように、左にもたれかかりました。パレードは、そうですね、そのまま坂をおりてきました。次に起きたことは、とにかく正確に覚えていますが、私たちの真正面で、彼に銃弾が命中しました。彼の顔の横の方に銃弾が命中しました。 トンプソン:側頭部のどの辺りに命中しましたか? シッツマン:耳の上から前のほうにかけてです。 トンプソン:耳の上から垂直に線を書いたとすると、それよりも前ということですか? シッツマン:そうです。 トンプソン:それが意味するところは、こめかみよりも後ろで、頭の側面ということですか? シッツマン:耳と目の間ぐらいです。 トンプソン:耳と目の間ですね。 シッツマン:そこから脳みそが吹き飛ぶのが見えました。わかりますか、頭がパックリと開いたんです。とにかく見るに耐えない光景でした。頭が吹き飛んだのですから。 トンプソン:そのときの大統領の頭の動きについて覚えていますか? たとえば、銃弾が命中した衝撃で、頭がどちらに動いたとか、体がどう動いたとか。 シッツマン;いいえ、私がみたのは、大統領の頭に銃弾があたり、頭がどうなったかしか覚えていません。誰がどう言おうとも、頭だけしか見ていなかったんです。それ以外の動きとか、ほかの事については全く覚えていません。とにかく、これまで見た事も想像したこともないような光景でした。 トンプソン:頭が、衝撃でどう動いたとか、前とか、後ろとか、左側にとか、見ていませんか? シッツマン:いいえ、思い出せません。私は見ていたのかもしれませんが、覚えているのはそれだけです。 トンプソン:わかりました。わかりました。 シッツマン:銃撃の音についてですが、最初の音は、まるで爆竹のような音でした。2発目の音も1発目と同じように聞こえました。2発の音に違いはありませんでした。もし仮に、2発目の銃弾が1発目と違う場所から発射されたとしたら、たとえば、右側のもっと近い場所から発射されたとしたら、私の耳にはもっと大きく聞こえたはずですし頭の横で鐘が鳴るように感じたと思いますが、そんなことはありませんでした。だって、私は木の柵の間近に立っていたんですよ。本当にすぐ近くでした。でも2発の音に違いはありませんでした。 <マリリン・シッツマンの位置から見た木の柵の位置> トンプソン:あなたの耳には、特別大きく聞こえるようなことはなかったと。それらは・・ シッツマン:ええ、そうです。その日に聞いた一番大きな音は、サイレンでした、その・・ トンプソン:それから、あなたが見た光景ですが、頭部への銃撃の後、車はトリプルアンダーパスの方へ消えていった? シッツマン:ええ、それから立っていたコンクリートの台座を降りて、丘を下っていきました。そこで道路を横切ってきた男の人たちと会いました。たぶん、シークレットサービスか、CIAか、そんな人たちだったと思いますが、何が起きたのか聞かれました。私は「大統領が殺された」って答えました。それからまた丘を上がっていきました。そこでFBIの人たちから話を聞かれました。身分証を見せてもらったのですが、名前は思い出せません。そのあと、私は、プラザのアルコーヴ(構造物)の陰に歩いていきました。裏側ではなく、アルコーヴの内側です。 トンプソン:プラザのアルコープですね。 シッツマン:そして、後ろを振り返ると、皆が、こちらの同じ方向に走ってくるところでした。皆一斉に丘を上ってきているのです。 トンプソン:どちらの方向に走っていましたか?鉄道の操車場のほうですか?それとも駐車場のほうですか? シッツマン:走っている人もいましたし、とにかくアルコーヴに行きました。そこには、人々が群れていました。たぶん、丘にいたほとんどの人がそこに来たのではないでしょうか。それからその日の出来事でもう一つ覚えているのは、黒人のカップルのことです。彼らは、だいたい18歳から21歳くらいの若い男女で、ちょうど私の右側で、木の柵のすぐ真ん前あたりにあるベンチに座って昼食をとっていました。 トンプソン:整理すると、あなと木の柵の間、木のすぐ・・・ シッツマン:そこには木がありました。そして、プラザの構造物が延びていました。コンクリートと呼ぶのか、壁と呼ぶのかわかりませんが。その壁と木の柵の間です。 トンプソン:そのベンチはあなたに向かってどちら・・・ シッツマン:それは、通りの方向に向いていました。 トンプソン:通りに向かってですね。並行にですか?丘を下る方向ですか?前方を向いてですか? シッツマン:彼らはそこで昼食を取っていたのです。食事が入った袋を持っていました。そしてコーラを飲んでいました。なぜ、私がそのことを覚えていたかと言いますと、最後の銃声がした後、車がトリプルアンダーパスのほうに消えました。そのとき、ガラスが割れる音がしたのです。そして、音の方向に目をやると、その黒人の男の子がコーラのボトルを投げ落として、投げ落とすと同時に後ろの方に向かって走り出しました。もちろん、その行為自体は、特におかしな点はありませんでした。なぜなら、皆、その方向に走っていたんですから。それから私の左手にいた丘の人々もそちらに向かって走り出していました。 トンプソン:うーん、ところで、グラシノールの木の柵、あるいはドーム型の構造物の裏側に位置する駐車場で、何か目にとまるような車を見ませんでしたか? シッツマン:駐車場には車がたくさん停まっていました。いつものようにね。あれはテキサス教科書倉庫ビルの駐車場なんです。 トンプソン:あの日も、たくさん停まっていましたか? シッツマン:あの日も、いつでもです。 トンプソン:うーむ シッツマン:あそこはいつでも満車なんです。実際、誰のための駐車場か、実際のところ私もよく知らないのですが、鉄道会社の人たちや、テキサス教科書倉庫の人たち、あるいは別の人かもしれませんが、とにかくいつも満車でした。 トンプソン:それでは、頭部への銃撃の直後の光景について何かお話いただけますか?ザプルーダー氏の撮影されたフィルムを見ると、銃撃の後はカメラを右手に向けながら木の柵がある方向にカメラを向けています。木や木の柵などの周辺部に向けてです。あなたも頭部への銃撃の後はそちらのほうを見ましたか? シッツマン:私の考えでは、彼(ザプルーダ氏)はあの子達が投げたコーラの瓶が割れる音を聞いたのではないでしょうか?そのとき、彼はビクッと飛び上がりましたが、私は銃声ではないと分かりましたので飛び上がることはありませんでした。。 トンプソン:そんなはずはない シッツマン:でも、ガラス瓶の割れる音は、銃声よりも大きかったんですもの。 トンプソン:ちょっと、話が違います。私は以前、ザプルーダーフィルムを見て気がついたことがあります。だいたい318コマ目と319コマ目あたりですが、突然、画面が揺れます。まるでカメラマンが大きな音に驚いたかのようにです。この点について、ご意見をお聞かせ願えませんか? シッツマン:いいですか、私たちはケネディ大統領の頭に弾が当たって、こんな風に破裂した光景を目の当たりにしたんですよ。こんな光景を見て、平常心でいられると思いますか?飛び上がって驚くにはごく普通の反応だと思いますけど。 トンプソン:言い換えると、音よりも目でみた光景で驚いたということですか? シッツマン:その通りです。ただし人それぞれだと思いますよ。人によっては凍り付く場合もあるでしょうし、人によっては、特に女性では、あんな血なまぐさい光景で、気を失う人もいるかもしれません。 トンプソン:たしかにそうですね。私もフィルムを見てもそうなりました。では、お聞きしますが、この木の柵と、コンクリートの壁あるいは、遊歩道のあたりですが、銃撃の後、この付近を見ましたか? シッツマン:はい トンプソン:この辺りに誰かいましたか? シッツマン:いませんでした。ただ、先ほどの黒人のカップルが走っていくところでした。 トンプソン:わかりました。彼らはベンチから立ち上がって、木の柵とパゴラ(デイリープラザの構造物)の間を走っていったのですね。 シッツマン:間の遊歩道を走っていったか、あるいはアクローヴの方にいったか、覚えていません。ただ、瓶が割れる音で、私は直ぐにそちらの方を見たのです。直ぐにです。そうしたら、彼らは後ろの方に向かって走っていったのです。それからまた、すぐに向きを変えて、通りのほうで何が起きたのか見ようとしたのです。彼らは、私たちには何も関係のない人たちでしたから。 トンプソン:彼らの隣に立つ前に、彼らがベンチに座っているのを見ましたか? シッツマン:そうです。10分から15分くらい前、この辺りをうろうろしていて、見物する場所を探していました。私たちが台座のような場所に行ったとき、彼らはそこに既に座っていました。 トンプソン:なるほど、彼ら2人が、壁の端のほうか壁際に移動したか気がつきましたか? シッツマン:いいえ、よくは分かりませんが、そこにずっといたと思います。 トンプソン:もちろん、あなたはパレードに注目していた訳ですよね。だから、その場所にいたかどうか分かりませんよね? シッツマン:そうですね。ただ、彼らがずっと座っていたような感じがしました。どうしてかと言うと、私が見たときに、そこから立ち上がっていましたから。 以下、ニックスフィルムの映像に写った人影についての質問が続くが、この人影は後に光線の具合による陰であると証明されたため省略する。
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《レゼリア国(こく)・王妃暗殺事件(おうひあんさつじけん)の真相編(しんそうへん)/Chapter of The truth of queen assassination in Lezarea》 数年前、レゼリアという国の王妃、いわゆるホタルの母親が何者かに暗殺されるという事件が起きた。 犯人が見つからぬまま、刻々と時間だけが過ぎていった・・・ そして数年経った現在、平和な日々を送っていたカオス達の所に、ある男が「あの事件の真実を知っている」と名乗りを上げてきて・・・。 主な登場人物 カオス(レイ) ワンナップリンから話を聞き、実家に居るホタルの所へ行った。 その途中でヴォルキス564と遭遇、ヴォルキスが犯人と言う確信を得て切れ、レイへと変身。 ヴォルキス564の機能を低下させる致命傷を与えた その後、バルザに戦いを任せホタルの元へ。 ホタルの父親と何か話していたようだ バルザ 今回の話では興味を持ちカオスとは別ルートでレゼリア国に向かった。 レゼリア国に向かう途中にカオスと戦闘を行っているヴォルキル564を見つけカオスだけを先に行かせた。 当初は自信がなく「時間稼ぎ」が目的だったが戦いの末ヴォルキル564を倒した。 後にレゼリア国に着き侵入したが、兵士に見つかり逃げ込んだ部屋でホタルと再会した。 ヴォルキル564 黒のマントを身につけ、虹色の仮面を被った謎の人物。 その正体は闇の者に仕えし暗殺のプロフェッショナルマシーンであり、ホタルの母親暗殺の実行犯でもある。 「わたーくしは」、「~まース」などと少々なまった喋り方をする。 性格は非常に忠実かつ残忍で、以前にも「主」の命に従い多くの国王や偉人を暗殺してきた。 そして今度はレゼリア王妃の子孫であるホタルをも狙うが、カオスやバルザの怒りに触れ、激闘を繰り広げた末にバルザに壊される。 暗殺マシーンとなる以前はワンナップリンに造られた執事メカだったらしく、破壊された後ワンナップリンによって回収された。 Mr.ワンナップリン プリン型のUFOに乗った、派手なサングラスが特徴の中年男性。 数年前の事件の真相を握っていると発言した張本人で、ヴォルキルを造ったのも彼。 理由はどうであれ、自分の作った作品が犯罪に使われていた事にショックを受けている模様。 ホタル 今回の重要人物 正月と言う事で実家に帰っていた。 ワンナップリンから暗殺事件の真相を告げられたが、特に怒る訳でもなく真相を知れたことに安堵していた。 自分の部屋で休んでいるところでバルザやユウ、カオルと遭遇した ユウ カオル フシギバナ(擬人化) カオスが出掛けると言う事で出てきた。 モニターでカオス達の様子を見ていた 今回はいわゆるお留守番 関連ページ 過去ドラマへ戻る コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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《レゼリア国(こく)・王妃暗殺事件(おうひあんさつじけん)の真相編(しんそうへん)/Chapter of The truth of queen assassination in Lezarea》 数年前、レゼリアという国の王妃、いわゆるホタルの母親が何者かに暗殺されるという事件が起きた。 犯人が見つからぬまま、刻々と時間だけが過ぎていった・・・ そして数年経った現在、平和な日々を送っていたカオス達の所に、ある男が「あの事件の真実を知っている」と名乗りを上げてきて・・・。 主な登場人物 カオス(レイ) ワンナップリンから話を聞き、実家に居るホタルの所へ行った。 その途中でヴォルキス564と遭遇、ヴォルキスが犯人と言う確信を得て切れ、レイへと変身。 ヴォルキス564の機能を低下させる致命傷を与えた その後、バルザに戦いを任せホタルの元へ。 ホタルの父親と何か話していたようだ バルザ 今回の話では興味を持ちカオスとは別ルートでレゼリア国に向かった。 レゼリア国に向かう途中にカオスと戦闘を行っているヴォルキル564を見つけカオスだけを先に行かせた。 当初は自信がなく「時間稼ぎ」が目的だったが戦いの末ヴォルキル564を倒した。 後にレゼリア国に着き侵入したが、兵士に見つかり逃げ込んだ部屋でホタルと再会した。 ヴォルキル564 黒のマントを身につけ、虹色の仮面を被った謎の人物。 その正体は闇の者に仕えし暗殺のプロフェッショナルマシーンであり、ホタルの母親暗殺の実行犯でもある。 「わたーくしは」、「~まース」などと少々なまった喋り方をする。 性格は非常に忠実かつ残忍で、以前にも「主」の命に従い多くの国王や偉人を暗殺してきた。 そして今度はレゼリア王妃の子孫であるホタルをも狙うが、カオスやバルザの怒りに触れ、激闘を繰り広げた末にバルザに壊される。 暗殺マシーンとなる以前はワンナップリンに造られた執事メカだったらしく、破壊された後ワンナップリンによって回収された。 Mr.ワンナップリン プリン型のUFOに乗った、派手なサングラスが特徴の中年男性。 数年前の事件の真相を握っていると発言した張本人で、ヴォルキルを造ったのも彼。 理由はどうであれ、自分の作った作品が犯罪に使われていた事にショックを受けている模様。 ホタル 今回の重要人物 正月と言う事で実家に帰っていた。 ワンナップリンから暗殺事件の真相を告げられたが、特に怒る訳でもなく真相を知れたことに安堵していた。 自分の部屋で休んでいるところでバルザやユウ、カオルと遭遇した ユウ カオル フシギバナ(擬人化) カオスが出掛けると言う事で出てきた。 モニターでカオス達の様子を見ていた 今回はいわゆるお留守番 ※ここはまだ未完成です。 書かれていないことがあったりしたらどんどん更新してください。 関連ページ 歴史へ戻る コメント べっ、べつにアンタのために教えるからね!(人・ω・)♪ -- (にゃんちゅう) 2011-11-21 21 08 20 名前 コメント すべてのコメントを見る
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キューティクル探偵因幡 第3話「チョコレート悩殺事件」「狼少女暗殺事件」(1358926277) nicovideo エラー ( 正しい動画URLを入力してください. )
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{{基礎情報 君主 | 人名 = 高宗 | 各国語表記 = Template lang? | 君主号 = 朝鮮国王・大韓帝国皇帝 | 画像 = Korea-Portrait of Emperor Gojong-01.jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = 『高宗皇帝御眞』(作者未詳、国立故宮博物館蔵) | 在位 = 朝鮮国王:1863年12月12日-1897年10月12日大韓帝国皇帝:1897年10月12日-1907年7月20日 | 戴冠日 = | 別号 = 大韓帝国光武大皇帝大韓帝国太皇帝徳寿宮李太王 | 全名 = 李熈 | 出生日 = 1852年9月8日(旧暦7月25日) | 生地 = 李氏朝鮮、漢城、雲Template lang?宮 | 死亡日 = Template 死亡年月日と没年齢? | 没地 = 朝鮮、京城、徳寿宮 | 埋葬日 = 1919年3月3日 | 埋葬地 = 朝鮮、京畿道南楊州市金谷洞、洪陵 | 継承者 = | 継承形式 = | 配偶者1 = 明成皇后閔茲暎 | 配偶者2 = 純献皇貴妃厳氏 | 配偶者3 = 永宝堂貴人李順娥 | 配偶者4 = 貴人張氏 | 配偶者5 = 内安堂貴人李氏 | 配偶者6 = 宝賢堂貴人鄭氏 | 配偶者7 = 福寧堂貴人梁氏 | 配偶者8 = 光華堂貴人李完興 | 配偶者9 = 三祝堂尚宮金玉基 | 配偶者10 = 貞和堂尚宮金氏 | 子女 = 李Template lang?李Template lang?李Template lang?李垠李Template lang?李Template lang?李文鎔徳恵翁主 | 王家 = 全州李氏 | 王朝 = 李朝(朝鮮王朝) | 王室歌 = | 父親 = 興宣大院君李Template lang?応 | 母親 = 驪興府大夫人閔氏 }} 高宗(こうそう、コジョン、Template lang?、Gojong、1852年7月25日 - 1919年1月21日)は李氏朝鮮時代の第26代国王であり大韓帝国初代皇帝でもある(在位:1863年12月12日 - 1907年7月20日、皇帝在位:1897年10月12日 - 1907年7月20日)。大日本帝国の李太王。 姓は李、小字は命福。諱は熙、字は聖臨(ソンニム、Template lang?)。号は珠淵(チュヨン、Template lang?)。諡は統天隆運肇極敦倫正聖光義明功大徳尭峻舜徽禹謨湯敬応命立紀至化神烈巍勲洪業啓基宣暦乾行坤定英毅弘休寿康文憲武章仁翼貞孝太皇帝。即位時の年号をとって光武皇帝と呼ぶこともある。即位前は翼成君に封じられていた。 系図 第21代王英祖の子・荘献世子の三男・恩信君の養子・南延君(元は仁祖の8世孫)の四男・興宣大院君(李Template llang?応、Template llang?は、日の下に正)の次男。母は驪興府大夫人閔氏(驪は馬へんに麗)。正妃は明成皇后閔氏(閔妃)。子に純宗、李垠らがいる。 略伝 勢道政治 先王哲宗の時代は、安東を本貫にする安東金氏が外戚として政権を掌握し、勢道政治を行っていた。その期間は59年間に及び政治は荒れ果てており、王族の中からも安東金氏の打破を望む勢力が生まれていた。その中の筆頭が興宣君李Template llang?応と先々代王憲宗の母で孝明世子嬪であった神貞王后趙氏であった。 摂政就任 1863年12月8日哲宗が32歳で亡くなる。哲宗の子は娘1人であり、息子5人が産まれていたが全て夭折していたため、直系の世継ぎ候補が居なかった。そのため傍系王族の誰かを王位につける必要が生じた。ここで、世子(跡継ぎ)が決められていない場合の王位継承権の決定権を持つ神貞王后趙氏は李Template llang?応と謀り、李Template llang?応の次男・命福を孝明世子(憲宗の父)の養子とし、12月13日にそのまま即位させた。これが高宗である。父・李Template llang?応は興宣大院君に封ぜられ(「大院君」は、王の実父に与えられる称号)、このとき高宗は11歳であったため摂政の任に就いた(公式的には神貞王后が摂政)。 興宣大院君の鎖国政策 興宣大院君は安東金氏の勢道政治を打破し、国内改革を行っていたが、迫り来る西洋の列強諸国に対する対外策はあくまでも鎖国・攘夷であり、決して国交を結ぼうとしなかった。また、カトリックの弾圧を繰り返し行った。1866年フランス人神父らを殺害(丙寅邪獄)すると、その報復としてフランス艦隊が軍艦7隻を持って江華島を占領したものの、これを追い払った(丙寅洋擾)。 また、同時期に通商を求めてきた商船ジェネラル・シャーマン号も焼き討ちして沈めてしまう(ジェネラル・シャーマン号事件)。この抗議として1871年、アメリカ軍は賠償と通商を求め、軍艦5隻を持って江華島を占領するが(辛未洋擾)、大院君は交渉に応じず、アメリカ軍も1ヶ月で引き上げざるを得なかった。 閔氏の時代 1866年に閔妃が王妃として王宮へ入ると、大院君は閔妃と対立を始め、閔妃を中心とした閔氏一族と崔益鉉らの儒者勢力、政敵安東金氏の勢力を中心に、大院君排除の為の動きを見せていた。これらの勢力が結託し、1873年、高宗が成人すると親政を宣言し、崔益鉉の弾劾を機に大院君は追放される。代わりに政権を握ったのは閔妃の一族である閔氏であった。高宗は性格的に気の強い閔氏に頼るところが多く、政権を握った閔妃は閔氏一族を要職につけ、以後閔氏一族による勢道政治が始まる。 閔妃派が勢力を握ると、国内の情勢は鎖国から開国へ傾きかけ、開化派勢力が台頭してくる。1876年、日朝修好条規(江華島条約)が締結される。これをきっかけに、アメリカ、フランス、ロシアとも通商条約を立て続けに結んでいくことになる。ロシアの南下政策に対し、清・日本・アメリカと協力しこれに対抗するという動きも見せ始めた。しかし国内の政治は、開化派と守旧派勢力(衛正斥邪派)との対立が深刻化していた。大院君もこの動きに連動し、高宗の異母兄を王位につける国王廃立の動きを見せていた。高宗と閔氏一族は、衛正斥邪派を弾圧することによって政局混乱を収拾を試みるが、政治の混乱は更に激しくなった。 1882年、新式軍隊(近代式軍隊)に対する旧式軍隊の差別待遇、賃金未払いなどに対して、不満を募らせた旧式軍隊と衛正斥邪派・大院君の勢力が結託し、閔妃暗殺、閔氏一族・開化派勢力の追放をもくろんだ壬午軍乱が発生する。壬午軍乱によって一時的に大院君は復権するが、殺されたと思われていた閔妃は清の袁世凱に介入を要請。清軍が出撃しこれらの勢力を排除する。大院君は清国へ連れ去られ、清国は朝鮮の治安維持の目的で、3000の兵を朝鮮国内に駐屯させた。一方、この軍乱により日本大使館を襲撃され、多くの日本人が殺害された日本も軍艦を朝鮮半島へ向かわせ、賠償を要求。済物浦条約により賠償金の支払いと邦人保護のための軍隊駐留を認めさせる。この事件により、清と日本の軍隊が朝鮮国内に駐留することになり、朝鮮の軍事権は深刻なダメージを受けた。 清への事大 一方閔妃は、この事件により清に事大していくことになり、開化派の反発を受ける様になる。1884年、開化派金玉均を中心とした勢力は甲申政変を起こして閔氏一族を排し、一時政権を握ったものの、駐留清軍により駆逐され失敗に終わる。 高宗と閔妃は清への事大主義に傾倒していくが、対外政策も国内政策も混乱を極め、国内では東学党を中心とした勢力が農民の間に広まり、「保国安民」と「弊政改革」を旗頭に1894年、東学党の乱(甲午農民戦争)を勃発させる。この混乱を朝鮮王朝は収拾できず、清軍へ援軍を依頼、一方日本は邦人保護を理由に軍隊を動員し、日清戦争(1894年-1895年)の原因になる。この戦争は、欧米列強の支持を受けた日本軍の勝利に終わり、下関条約を締結する事になる。これにより朝鮮は、清の属国の立場から独立国家として承認される事になるが、清の後盾を失った閔妃は、今度はロシアと結んで日本に対抗しようとした。 閔妃暗殺事件 この動きを警戒した開化派や朝鮮に戻っていた大院君などの勢力が閔妃排斥の動きに出て、1895年10月8日、閔妃暗殺事件(乙未事変)が起こっている。これは朝鮮が親露に傾くことに危機感を持った朝鮮国軍部大臣を始めとする朝鮮軍将校や朝鮮王室親衛隊将校高宗實錄 34卷, 33年(1896 丙申 / 대한 건양(建陽) 1年) 2月 11日(陽曆) 6번째기사高宗實錄 34卷, 33年(1896 丙申 / 대한 건양(建陽) 1年) 2月 11日(陽曆) 3번째기사Template cite web?Template cite web?と日本公使・三浦梧楼と軍人が宮廷に乱入し閔妃と女官を惨殺した事件であるが、首謀者は大院君であると言う説もある。犯人として李周会、朴銃、尹錫禹の三名が死刑とされたが、三浦梧楼など日本人は嫌疑不十分として釈放された。 閔妃暗殺事件に日本軍が関わっていたと報じられると、国内の中は親日派勢力と反日勢力が対立し、カウンタークーデタとして春生門事件(1895年11月28日)を起こし、金弘集総理らを殺害し王を奪おうとした。しかし、この計画は親衛隊大隊長の李軫鎬の内通により、失敗に終わった。 親露政策 この後、李範晋はロシア公館に逃げ込み、次のような綿密な計画で高宗奪回を試みた。 2月5日、李範晋はロシアの指示で春川、忠清道で暴動を起こし、日本の電信線を切断。 各地での暴動 2月10日、ロシアは107名の水兵、20名の食料担当兵、大砲一門をソウルに搬入。ロシア兵150名となる。 宮女ゲン(元?)金明載より「各大臣等日本兵が密かに国王を廃位しようとしているので甚だ危険なり。速かに露館に播遷し回避されたし」旨の書状を高宗に届ける。 2月11日、高宗と世子(純宗)が宮女用のかごに乗り、ロシア公使館へ。 以下の勅令をだす。 閔妃殺害事件の犯人として特赦された趙羲淵、禹範善、Template llang?、李軫鎬、李範来、権Template llang?鎮の首を持ってロシア公館に持参せよ。 新内閣の公示 前総理・金弘集と前農工商大臣・鄭秉夏は亡命せず、警務庁前で暴徒に捕まり惨殺、遺体は焼却。 2月18日 仁川に4000余名の暴徒蜂起、官衙官宅を毀壊。 2月22日 内閣体制の更新。李範晋は法部大臣兼警務使となり大院君派の粛清を開始。 この計画は成功し、高宗はロシアと内通してロシア領事館に逃げ込み、反ロシア派は一掃された(露館播遷)。 ロシア領事館の保護下で、高宗は親露政策を取り、様々な契約をロシアと締結した。開化派の金弘集などは殺されてしまう。多くの権益がロシアに奪われ、民衆達は親露政権に対しても反発の動きを見せたため、高宗は、王宮へ戻らざるを得なくなった。こうした自主独立の動きに押され、高宗は1897年10月12日、朝鮮初となる皇帝に即位、14日に国号を大韓帝国と改め、年号を光武とし、皇帝独裁による独立国家への動きをようやく見せ始める。 皇帝即位 皇帝になってからも高宗の周辺は安定せず、1898年7月には皇帝譲位計画が、9月には暗殺未遂事件が起こっている。また、独立協会を中心とした独立派に対する旧守派の妨害によって政府内は暴力的政争の状態になり、ついには独立協会は解散、議会政治への道も閉ざされてしまう。皇帝は光武改革という近代化政策を推し進めるが、財源の一元化の失敗、脆弱な財政基盤を強化するための増税が民衆反乱を招き、改革は頓挫してしまう。 東学の残党も活発な運動を続け、1899年に英学の反乱を起こしている。 一方、満州(中国東北部)と朝鮮を挟んで、ロシアと日本の帝国主義国家間対立は深刻化し、1904年 - 1905年に日露戦争が勃発している。地政学的な国策から対朝鮮政策を強化したい日本は、戦局が優位に進む中1905年4月に韓国保護権確立を閣議決定、7月29日には、アメリカとの間で、桂-タフト協定を結び、アメリカのフィリピンでの権益を認める代わりに朝鮮での権益を認めさせ、8月には第2回日英同盟を締結し、ロシアの南下に対抗する拠点として朝鮮支配の確約を得た。 列強の支持を取り付けた日本は、日露戦争勝利後、11月17日第二次日韓協約(乙巳保護条約)を締結し、大韓帝国の外交権を剥奪し、日本の保護国とした。 一方これらの動きの中で高宗は、1907年6月に行われる第2回万国平和会議に秘密裏に特使を派遣し、ハーグ密使事件を起こすが、既に日本の権益を認めていた列強からは相手にされなかった。この事件により、日本の意を受けた李完用などの勢力は、皇帝退位へと動き、7月20日皇太子(純宗)への譲位に追い込まれ太皇帝となる。東アジア最後の太上皇である。 日韓併合 1910年8月の日韓併合にともない、徳寿宮李太王の称号を受ける。1919年1月21日、三・一運動の起きるおよそ1ヶ月前に67歳で薨去した。毒殺の風聞が流れ、三・一運動を刺激した。日本の王公族徳寿宮李太王熈として1919年(大正8年)3月3日に国葬が執り行われた。御陵は洪陵である。 高宗は日米欧の列強諸国や宮廷内の権力争いの間に翻弄され、国を失った悲劇の国王であるが、主体性の無さが却って国内の混乱を招き、対外干渉を受け国を失った亡国の主という批判もある。 宗室 后妃夫人等 明成皇后 徳安宮純献皇貴妃厳氏(貴妃厳氏、淳嬪厳氏) 淑媛李氏(名:李順娥、貴人李氏) 貴人張氏 貴人李氏(昭儀李氏) 貴人鄭氏 貴人梁氏 貴人李完興 尚宮金玉基 王子 元子 夭折(明成皇后) 純宗大王 Template llang?(明成皇后) 完和君 Template llang?(淑媛李氏) 義親王 Template llang?(宮人張氏) 英親王 李垠(德安宮貴妃嚴氏) Template llang? 李Template lang? 王女 徳恵翁主(梁氏) 脚注 関連項目 李氏朝鮮 李王家 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月6日 (木) 16 15。
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事件の概要 デイリープラザ ザプルーダフィルム モーマン写真 アンブレラマン バッジマン 銃声録音テープ 映画『JFK』の嘘 バブーシカレディ 玄関の男 パークランド病院 副大統領警護車 その後の弾丸 オズワルド 頭部の傷(位置) ハーパーの破片 魔法の銃弾(弾丸編) 魔法の銃弾(弾道編) カルカノ・ライフル 3人の浮浪者 群集の中の不審人物 # ジーン・ヒル マリリン・シッツマン パレードルート # トンデモ説 疑惑の証人 管理者に連絡